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2003.夏 神谷先生にプリントで
 いただいたのを
 HPに再編集しました


徒然なるままに  其の壱

〜八月の手紙〜

                                                                  神谷 伸行

 第5回演奏会、尾張旭合唱交歓会が終わってやっと夏休み。新しいメンバーも増えたので、自己紹介を兼ねて、合唱音楽に対する私自身の想いのようなものを再び語らせていただきたいと思うようになり、少し時間を作って書き始めました。            交歓会の反省としては当日打ち上げ会でお話ししたようなことです。何もよその団体の前で言わなくてもいいのですが、言っても仕方がなかったと思い、やや後悔しました。それから全体の発声練習がすごい。儀式以外の何物でもありません。まあ知らない人間(しかも素人)が一度やっただけで何も変わるはずもありませんが、女声合唱団さんには何か一つでも”記念に”
心の中にしまって持って帰っていただけたら・・・と思っています。

 

交歓会の反省ふたたび

  さて。女声合唱団のピアニストの方から「ニュアンスを大切にしている合唱団」だと言われました。少々お世辞もありましょうが、多少通じた部分もあったということで、そのように受け止められたことには素直に良かったと思っておきましょう。「白・青」は短い練習期間で急造仕上げでしたが、一度演奏会で取り上げているシリーズのためか何となくできたのだろうと思います。ただやはりそれには、今回も2声で音取りにそれほど負担がかからなかったこともあるのです。その分、主旋律(これは一応皆で歌いましたよね)に対して副旋律(=Uのパート)がいかに表情を付けられるかを工夫すればもっと豊かな演奏になったでしょう。中途半端になりそうだったのでほとんど深入りしませんでしたが。4声の曲では苦労したので、音取りのペースをもっと上げたいものです。ポリフォニー(Domine fac mecum)は、もっともっと各パートをよくまとめて、4本(=4パート)の線がきれいに絡み合い、一枚の織物を織っていくスタイルにしないといけません。一人一人、そして各パートがきちんとその責を果たすことで全体のアンサンブルがうまく仕上がってくるのです。Ave Maria(J. Arcadelt) についても、一つ一つの音符を拾うように歌う(というか意識していなくてもそう聞こえてしまっている)のは、まるでバイオリン奏者が音符一つずつに対して弓のup/downを繰り返しているようなもの。滑らかな息遣い(バイオリンでいうボーイング)によってきれいなフレーズ感が出てくるのです。「鳥が」でも同じように、8分の6の流れに遅れることなく、レガートに歌うことを徹底したいものです。

 

愛知県合唱コンクールにて

 先日たまたま招待券をもらって、愛知県合唱コンクールに行ってきました。中学・高校の部を聞いただけでしたが、ここに出てくる団体はたいてい一定レベルにあり、なかなか頑張っていました。しかし気になったのは選曲です。特に中学の部で三善晃を取り上げるところには参りました。そこは全国大会出場経験を持つ学校ですが、高校でもそう簡単に取り組めない人の作品をやっている。生徒がどれだけ消化して歌っているかわかりませんが、コチャールなどの東欧ものやニーステッドなどの北欧ものが人気になりつつある今、ついに中学生が三善を歌う時代になったのかと思いました。普段の演奏会や発表会では、きっと生徒が歌いたいと思う楽しい曲もやっているのでしょうが、コンクールで順位がつくとなると話は別のようです。そうしてみると、年に一度、難易度の高い作品に挑んで、切磋琢磨し凝縮した時間を仲間と過ごすというのも貴重な経験です。ただ、ウルトラCを出すことに活動目的がすげ替えられ、彼らが将来合唱が嫌いになってしまわないことを祈りながら帰りました。

                                      

大学グリー時代と恩師のこと

 コンクールといえば、私自身は高校では毎年参加賞、大学のグリークラブは自分の生まれた頃にコンクールを卒業(?)してしまっていたので、十数年前に助っ人でノイエ・ゲブルトに参加して中部大会に出場したくらいでほとんど縁がありません。私が所属していた同志社グリークラブは、早稲田、慶応義塾、関西学院と共に東西四大学合唱連盟(四連)を組んでいる男声合唱団で、来年創部百周年を迎えます。伝統あるクラブですが、実は私が入部した頃は、力強いコーラスではありましたがそれほどよくハモっている感じはしませんでした。大雑把に言いますと、同志社と早稲田は荒削り、慶応と関学はきれいにまとめるというスタイルです(慶応は関学よりも良い意味でもう少しパワフルです)。大昔は早稲田と慶応はプロによる指導、関西では学生が指揮をしていたそうですが、ちょうど私が生まれる頃同志社は、学生のみの運営に限界を感じた当時の学生指揮者浅井敬氏(ご存じ京都エコーの産みの親&育ての親という人です)が東京へ行って福永陽一郎というプロの指揮者を招聘しました。関学の、きれいではあるがまるで植木の刈り込みをしたような外見的にまとめ上げた演奏に物足りなさを感じた福永先生は、同志社の、荒削りだがソリストの集団のような、皆歌うことが楽しくて仕方がない(ホントOBにはバカと言っても許されるくらい声を出す人ばっかりです。困ったモンです。私は違いますけど)内実あふれるスタイルに魅力を感じ、京都へ通うようになります。フルトヴェングラーを信奉していた先生は、関学流のスタイルがトスカニーニ風に聞こえたのかも知れません。すらっとした長身でありながら、とにかく生命力のある、切れば血が出るような音楽の世界に素人の学生達を連れて行ってくれました。私が4年生の定期演奏会でパンフに書いた「ステージはショーケースではない。生きた音、メッセージがそこになければならない。」という言葉も、生意気ながら先生の影響を随分受けていたようです。

  グリークラブではパート練習を徹底します。演奏会前にはオーディションがあり、全曲暗譜できちんと歌えるかどうかチェックされます。不合格の場合はその後何度も”追試”が待っていますが、最悪ステージにのれない場合もあります。練習は毎日でしたが、これが大学合唱団の強みでもあります。こうして曲が徐々に浸透していくのです。しかし私は先に述べたように、よくハモっている感じを受けなかったので、そこを丹念に練習しました。でも練習すればするほど、ハーモニーは良くなっていっても今度は本来のクラブの持ち味であるはずの、はじけるような力強い迫力がどこか薄らいでいくのです。四連のあと福永先生に「今日の演奏を聴いた聴衆は、君たちに対して”感心”はしただろうけど、”感動”しただろうか?」と言われ、ギクリとしました。よくハモろうとするあまり神経質になり、結果こぢんまりとしてしまったのです。外見と内実。この二つのバランスをどう取るかがとても難しく、また大切なことを痛く思い知らされました。

 

徒然なるままに  其の弐

〜八月の手紙〜

                                                                  神谷 伸行

グリー時代の貴重な体験

 また繰り返しになりますが、同志社グリークラブはやっぱりあまりハモっていませんでした。これでよく伝統ある合唱団なんて言っていられるわいと正直に思いました。悪く言えば、パート毎にがっちり作っておいて後で合体させるプレハブ工法のようなやり方です。それはしかしたいていの場合、細かく部材を合わせたツーバイフォー工法のように堅固でもあったので、それほどの破綻もなく演奏はできる。少々ハモっていなくても力で押せる。でもパート毎の有機的な音楽のつながり、アンサンブルの妙のようなものがないがしろにされているように感じていました。次から次へと曲をこなさなければならず、詩の意味を掘り下げる余裕もほとんどなかったように思います。ただ、もちろん良いことも多かったのでそちらを見ますと、信頼できる仲間と巡り会えたこと、福永先生のみならず、山田一雄、渡邊暁雄、北村協一、関屋晋、皆川達夫、早川正昭、小泉ひろしなど優れた先生方の指導を目の当たりにできたこと、ヨーロッパ演奏旅行に行かせてもらい貴重な体験ができたこと、などが挙げられます。スイスのグロス・ミュンスターという教会では、ブルックナーのモテットを歌いましたが、ゲネラル・パウゼ(1小節まるまる休み)のところへ来て、その休んでいる小節の長さ分教会の天井に声の残響が響いているのです。それはまるで本当に声に翼があって飛んでいくようでした。次にPPでトップが入ったとき、ブルックナーの書いた意味がわかりました。これは日本のホールでは経験できないことです。それから、このように響く教会で歌うと日に日に自分の声が柔らかくなっていくのがわかります。力を入れなくとも建物が響いてくれるのです。ああ、自分たちが歌ってきた音楽が生まれたのはこういう文化からなのだと気づきました。

                                                            

卒業後声楽を習う

 大学を卒業して、少しだけ東海メールクワイヤー、ノイエ・ゲブルトで歌わせてもらいましたが、赴任校が新設校で特有の忙しさがあり、夜遅くまで外へ出るのが辛くなりました。合唱団からは足が遠のきましたが、声楽は続けました。卒業時に福永先生から紹介していただいたのが平野忠彦先生(東京藝術大学教授)です。先生の指導がなければ今の自分の声はありません。平成元年から足かけ十年以上、月1回のペースで登戸のマンション、横浜・本郷町のご自宅、目黒のスタジオ、はたまた藝大の研究室などでレッスンを受けました。藝大レッスンの時はちょうど大学祭の時期で音楽学部の持つ能舞台(本格的なのです)を見学させてもらったりしました。藝大教授ですが、わかり易く言えば昔ジャングル大帝レオの主題歌を歌っていた人です。レッスン場には藝大や音大志望の受験生も含め、遠路はるばる生徒がやってきます。皆レッスンの様子を録音し、帰りの飛行機や新幹線の中でおさらいをするのです。平野先生は、びっしりレッスン予定が詰まっているのに、1ヶ月ぶりでのこのこやって来た私の声を聞いてすぐに前回の注意点と課題を指摘、練習不足を見透かされるのです。レッスン料も安くはありませんが、1回1回がそれもうなずけるくらい全く無駄のない的確なレッスンを受けられる60分で、今ふり返っても、仕事や子育てに埋没する中で本当に自分を素にして何もかも吸収することに没頭できる幸せを感じられるときでした。267歳の時のあるレッスンの折、突然藝大を受験しないかと言われました。大学院のソロ科です。藝大の院にはソロ科とオペラ科があり、オペラ科は演習科目ゆえ出席重視だがソロ科はそれほどでもないとのこと・・・。他大学(早稲田大や広島大、法政大など)出身者も多く、人的交流も幅広い。ただ試験ではリートやオペラのアリアはもちろんのこと、オラトリオのアリアまでこなせないといけません。第1次、第2次、第3次と複数回試験があり、それにピアノと論述試験(ヴェリズモ・オペラについて論じよ、など)もあります。先生はリートがきちんと歌えれば大丈夫と言ってはくださいましたが、やはり平日に授業を受けることが実質無理なので断念しました。いい夢を見させてもらったという想いと同時に、しかし、夢を持つことは確かに良いことだけれども、今職場で生徒達にあまり軽々しく夢を見させてはいけないということも心に留めています。

 

良い声を磨く

 ここで断っておきますが、よく歌曲のリサイタルに行くと歌手のプロフィールに「声楽を○○先生、△△先生、××先生に師事」と書いてあります。師匠が複数いるのはよくあることで、良い声作りというのは山登りに例えられ、山頂を目指してのぼっていくが、登山コースはいくつかある、つまりアプローチの仕方はいろいろあるということなのです。私の場合は平野先生が自分によく合っていたと思います(合わせてくれていたのかな?)。もしかしたら合わない人もいるかもしれません。皆さんへの発声指導でもいろいろやってみなければと思っています。個人的に誰かに声楽を習うことも大いに結構です。要は方法はどうであれ、皆さんが良い声を磨き上げていただければよいのです。 

 

瀬戸男声合唱団を始めて

  そうこうしているうちに、瀬戸の宮崎さんから電話がありました。瀬戸市で男声合唱団を創るので、その指導をしてほしいというのです。当時名東区に住んでいて、ちょっと遠いなあという気持ちと、少し戸惑いを感じました。グリークラブで自分の合唱人生が完結しているわけでもないのに、どこかで思い出にふたをしている自分がいて、さりとて何か新しいものを求めているのでもない中途半端な自分。別に合唱団の指揮をするでもしたいでもなく、日々の仕事に忙殺されていたのです。練習場へ行くと、年齢が高めの人が多くどんな曲を持っていけばよいのか不安になりました。初めてのステージを終えると、宮崎さんが録音テープを持って血相を変えて自宅へ届けてくださいました。宮崎さんをして「これを聴いて寒くなりました」と言わしめた結果はひどいもの。第1回演奏会はシューベルトをやったりして、今から思うと随分な冒険でしたが、それでも様々な経験や失敗を経てようやくサウンドや方向性ができてきたような気がしています。旭混声でもそうですが、グリーのような大人数をまとめるのに都合が良い工法(方式)は、当然練習が週1回の一般アマチュア合唱団には通用しにくいし、通用したところでつまらない音楽でしょう。大人数の合唱団でも有機的なアンサンブルができない、パーツを接着したような演奏ではいけないと思うのです。他のパートが邪魔ならばカラオケボックスへ行けばよい。誰にも邪魔されずに済む。しかしそれでは合唱にはならない。パート間に壁があって、たまたま指揮者に合わせたら”合唱”になりました、ではおかしいのです。

 

徒然なるままに  其の参

 

                                                                  神谷 伸行

福永先生へのあこがれ

 恩師福永先生は、東京音楽学校(現東京藝大)ピアノ科を中退しています。それは卒業直前のこと、演奏解釈を巡って指導教官と対立、かねてから音楽においてレッスンという形式はありえないと考えていた彼は、どうしても納得がいかないと退学届を出してしまったのです。その後イタリアオペラ日本公演や近年では藤沢市民オペラなど大きなオペラ事業を手がける傍ら、アマチュア合唱団の指導に力を注ぎました。プロとしては畑中良輔先生と共に東京コラリアーズという男声合唱団の創設にも携わりました。平野先生も浪人時代に少しこの団を手伝っています。福永先生は教育者というよりは指揮者であって、アマチュア合唱団にとっては過酷とも言えることを要求しました。それは時にはきまぐれで、ついて行くのに必死なこともありました。でもそれは、楽譜に書いてあることだけを忠実に再現する作業では決してない、スリリングな生の体験で、とてもあこがれたものです。理由もなく気まぐれでいてはいけませんが、皆さんを置いてきぼりにしない程度に指揮をしながら引っ張っていけたらと思っています。

 

「良い合唱」とは

 大人数で大声で叫ぶようなコーラス(と言えるのか?)から一歩も二歩も離れてみて、自分の反省も含めて見えてきたこと--------それは、力任せに声を出さず、自然体で柔らかなよく響く声を出し、他のパートをよく聴いて自分を溶け込ませ、コーラス全体をよく鳴らし、有機的なアンサンブルを醸し出すこと。Domine fac mecumというルネサンスのポリフォニー音楽に触れていますが、まさにこの目標に近づくための基本材料だと思うのです。ラッススはまだ易しい方で、この時期の大家であるパレストリーナの作品になると、一つのフレーズがもっと長くなり息が苦しくなります(でもそれだけ鍛えられ、良い練習になりますけどね)。本当はヨーロッパの古い教会で歌うと、こうした音楽がよく響く石の建築の中で鳴るようにできていて、人間がノドに力を入れて歌うものではないことがわかるのですが、なかなか木と紙の文化の日本人にはわかりにくい、頭では解っても身体(発声器官)でとらえにくいのです。しかしとても大切なことなのです。具体的手段としては、やはりいつも言うように声(響き)を上へ上へ響かせる意識を常に持つことが第一です。われわれの多くがキリスト教徒ではないので宗教作品はどうもと思いがちですが、邦人作品を含めほぼあらゆる合唱曲が西洋音階で成り立っている以上、西洋音楽の基礎であるルネサンスの作品を無視、軽視することはできません。現に西欧の有力合唱団の演奏会では、必ずと言っていいほどルネサンス作品を取り上げます。というか、日本の合唱団のように「○○組曲」というスタイルを取り上げることがまずない(大体そういう組み物作品がほとんど存在しない)し、ステージをいくつかに区切ったりしないので五月雨式に歌い、その中にルネサンスものがたいてい入っているのです。                 それから前にも述べたように、自分のパートをまずしっかりとって、他のパートとよく合わせることが大切です。パート間に壁があって、それぞれの主張を延々と聴かされるのではたまりません(下の図1)。各パートが有機的につながって、時には主張し、時には譲り合うように互いにうまく影響し合ってこそ良いアンサンブルになるのです(図2)。  

 

  <図1>                                  <図2>

 

    壁 A 壁 T 壁 B                      A   T   B

                                     

                                                         

                                                                

             聴衆                                     聴衆        

 

 

 だから他のパートがきこえるとおかしくなるというのは他のパートに対して失礼であるし、ナンセンスなのです。各自音叉を持って音をとりながら歌う現代作品は別ですが。そのためには全パート暗譜が必要です。自分が歌っているときに他のパートが何をしているのかを考え、感じます。出てくる声から、どんな気持ちで歌っているかを感じ取ることです。それによって自分の出し方が変わることも当然あり得るのです。また、常に声を出しているとは限りません。休符であってもどんな気持ちで次の音の準備をしているのかまで思いが至ると良いアンサンブルが生まれます。日頃練習できっちり造型し、それをショーケースに入れたようにして舞台へ運び、そこで覆いを取り払ってお客さんに聞かせる、というよりも見せる。そこでのお客さんの反応は、やはり感心こそすれ、感動には至らないでしょう。そこには、一糸乱れぬ既製の造型品としての冷ややかな展示があるだけで、聴き手の気持ちをつかんで揺さぶり、会場全体を包み込むような陶酔や心の昂揚感が欠けているからです。それは何も激しい熱狂ばかりではありません。静かなポリフォニーであっても、最後まで絶妙な緊張感の上に立った演奏は聴き手の心をとらえて放さないのです。故福永先生はこの点をとりわけ重要視しました。失敗のステージもありますが、決して平均点の演奏ではない、飛び抜けて感動するステージになることがあるのです。音楽にある感動はただ、音楽の外見だけを整えさえすれば得られるものではなく、かといって得ようと思って得られるものでもない。何ともやっかいなものです。音程、リズム、フレーズ感、ハーモニー、言葉、言葉のニュアンス、バランス、アンサンブルなど外見をすべてクリアし、舞台の上で歌い手が1つになって、聴き手の心をとらえて放さないパッションを表出する。そして「何か」が加わって初めて感動が生まれるのだと思います。福永先生は、「感動は人と人との間にある」と言いました。歌い手の自己満足ではなく、聴き手との連帯感、一体感のなかに生まれるという意味だと思います。「海鳥の詩」で歌い込み、合唱団として一つになれたとすれば、それは大きな収穫です。そうしたoneness, conformity は合唱では不可欠だからです。

                                         

 

 

徒然なるままに  其の

                                                  

                                                                  神谷 伸行

「良い合唱」とは(続き)

 またまたくどいようですがおさらいです。いい声でよくハモり、バランスも良く、ダイナミクスもちゃんとついていて子音もよく聞こえてくる演奏だけでは、”感心”はされても”感動”はされません。それは歌い手の内面の問題が大きく関わります。聴き映えの良さに加えてその他の要素、つまり歌い手の想い、情念、パトスやエロス、知性などが込められて初めて聴き手の心を揺さぶるのです。シュワルツコップフという往年の大歌手は「歌い手は、聴く人の人生がその歌を聴く前と聞いた後では変わっていないといけない」と言ったそうです。聴き映えの良い演奏は、例えばCD録音用には良いでしょう。それは聴く人の心の状態を無視していて、歌い手と聴き手の同時性、連帯感というものを前提としていないからです。ではその他の要素として何があるのでしょうか?

  器楽と違って合唱にはコトバがあります。もちろん曲を効果的にするためにハミングやヴォカリーズが要所要所に使われることはありますが、それはあくまで補助的であってメインは詩です。コンクールの審査員をつとめる人は声楽家の人が多いせいかコトバの問題を重視します(コンクール評はたいてい声、コトバ、選曲が3本柱です)。一方合唱を批判する人の意見に「コトバにこだわり過ぎる。もっと音の研究をしてほしい」というのがあります。優れた作品は音楽がすでに完成されているのだから、コトバの発音などあまりこだわらなくてもよいという意見さえあります。私はこれには反対です。「白・青」のシリーズは例外としても、多くの声楽曲がコトバに曲をつけた形でできているので、コトバを意識して表現するのは当然のことなのです。そうでなければ楽器演奏だけでよいのです。

これも福永先生から口酸っぱく言われたことですが、楽譜にフォルテと書いてあるから強く歌うのではなく、詩やその時の音楽の流れからなぜそこがフォルテになっているかを考え、フォルテで歌いたくなる気持ちを整えて歌うことが大切です。このあたりは、「白・青」を歌っていても十分意識できる部分はありますね。つまり日本語にまるでローマ字で仮名をふったような歌い方をするのでなく、単語やフレーズで受け止め、それを伝える姿勢です。優れた作品は、コトバに沿って音楽が成り立っている。それ以下ならば、はじめから無理して音楽を付ける必要はないのです。ミサでもそうです。誰が書こうとキリストが受難を受ける部分はこの上なく沈痛に書かれているし、また復活の場面では快活なテンポ、調性、リズムでこの上なく喜びを表しているのが当たり前です。また熟成した気持ちを、熱く的確に伝える冷静さを持ち合わせることも大切です。歌い手がただ熱くなるばかりでは自己満足に終わってしまうからです。こうしてみると、自分のなかに感情を持ち、確定させ、熟成させ、それを巧みな技術で人に伝えるという作業が何と難しいことでしょうか。人間誰しも感情を持っているのは当たり前で、それを自己満足に陥ることなく聴き手に伝えること。そのためには技術を磨くことも当然あるし、また曲に対する音楽的理解力を磨くこと、そして詩に対する共感を深めるための研究も絶えず行わなければなりません。いわゆる感性を磨く作業です。それは自己の演奏を高めることでもあり、また同時に他の演奏に対する評価判断の基準を高めることにもつながります。        

コトバを本当に伝えるように歌うとは

 大学3年のとき、グリークラブが創立八十周年を迎えました(年齢を計算しないように!)。これを記念して前掲の浅井敬氏に『岬の墓』(堀田善衛作詩/團伊玖磨作曲/福永陽一郎編曲)を指揮してもらいました。過去、現在、自己、未来という四つの支点を軸にして、永遠に解けない人生の謎を絶対的真理に問いかける哲学的な詩に、雄大な交響曲のような音楽が展開していくこの感動的な名曲を、浅井先生は日本語を徹底的に歌い込むことで取り組ませました。日本語を知らない外国人が「赤い」と聞いて「red」だとわかるように歌えというのです。そんなの無理や、と考えさせる間もなく、すさまじい勢いでぐいぐい引っ張っていくのです。あの小柄なおっさんのどこからこの莫大なエネルギー

が出てくるんやろ、などとボーッとしている隙に音楽が怒濤のようにあるいはつむじ風のように何もかも巻き上げて行ってしまうようなあの状況は、まさにカリスマ指揮者のなせる技。京都エコーがコンクールで十数年(二十年?)連続全国大会金賞受賞というのもうなずけます(もっともあの団は音楽だけでなくかなり凄まじい勧誘、営業活動をしていますが)。練習の場面を思い出すに、服装は必ず赤と黒。「舞い下りて」という部分では、鶴(のつもり)が羽ばたきながらフワーっと優雅に(のつもり)舞い下りる姿を実演。「丘にのぼって見下ろせば」の部分では、身長をいっぱいに伸ばし、つま先だって見下ろす演技。「ここは景色が見えんのや〜。見えてるかあ?」「そこ!セカンドのフレーズを受けつがんかい!」「やわらかく(全身フニャフニャになって)」「ここで感動するんやで〜(これ以上感動的なシーンは見たことないという表情演技で)」「ここのトップテナーのO(オー)は何かわかるか〜?(思い切り声を押し殺したピアニシモで)霊・魂・や・で(ゾーッ)」「(墓の下にこそという部分で)下や下!し・たと言うンや、違う違うしたやて、しっ!たっ!」「ここでさっきの霊魂が戻ってくるんやで〜」「(突然手をバチンと叩いて)歌え!!!」・・・まあ思い出すだけでもいろいろ浮かんできますが、要するにコトバをはっきり伝えること、そして感覚ではなく感情にうったえる歌を歌うこと。これを徹底していました。こうした練習(客演ゆえ短期間でしたが)のうちに、学生は知らず知らず声が出てくるようになるのです。本当に浅井マジックです。そして本番。会心の演奏。最後の音を切ってほんの少し余韻に浸った後、石川さゆりのように、口の形が(ありがとうございました)でした。これもすごかった、というかあきれたのはアンコールの練習でした。ロシア民謡(彼の大好きなレパートリー)から「オレーグ公の歌」。コーラスの♪ブンブンブンに合わせて練習場の蛍光灯が♪キンキンキンと鳴るのでした。大きな声が取り柄のグリークラブで、あれだけの大音声を聞いたのは後にも先にも初めてでした。京都エコーが歌った『岬の墓』を録音したテープを是非皆さんに聴いてほしいのですが、随分昔誰かに貸したきりで、行方不明。残念です、すみません。

 

旭混声合唱団に期待する

  つらつら書いてきてしまいました。

  私は今までの多くの音大出身のプロの指導者とは違い、音楽ではいわば”無免許”の素人です。だからプロの方を越えるべく、普段の本業の合間を縫ってプロの方よりも勉強を続けなければなりません。そして皆さんに感動できる音楽作りを提供し、というか一緒に造り合い、自分が今まで受けてきた多くのレッスンのように、 (其の伍 に続きます)

 

徒然なるままに  其の伍

                                                  

                                                                  神谷 伸行

        

(其の からの続き)

週1回の楽しみとして人生を豊かにできる場を微力ながら造りたいと思っています。時には練習中失礼なコトバが炸裂するかもしれません。卒業してそろそろ二十年になろうかというのに、どうもグリー気分が抜け切らないせいか、ついついノリでいろいろボキャブラリーの窓が開くのです。でも悪気はありません。練習を効果的にするための必要悪的手段と申しましょうか・・・。でも私のボキャブラリーなど本当に甘い囁きのようなもので、もっとエゲツナイ指揮者は山ほどいるのです。現在旭混声は幸い団員も増加傾向にあり、HPの開設・利用など意欲的な雰囲気が出てきました。これはできない、あれは難しいと妙にへりくだる必要はありません。自信を持って何事にもチャレンジすればよいのです。「苦労した分だけ感動がある(演奏会の打ち上げで中島さんが言ってくださった言葉。ありがたい)」のです。胸にしか入らなかった息が浅い声にしかならないのと同様に、悩んで掘り下げない練習からは感動的な歌は生まれません。旭混声合唱団は、確かに和気藹々と仲の良いサークルです。これは間違いありません。しかし演奏会のパンフに書いたように、私は指導を頼まれた時「団員が感動を求めている」と聞き、何とか力になりたいと思ったのです。感動できる、良い音楽を目指す以上、単なるなーなーの仲良しサークルでよいでしょうか。もちろん効率のみを求める成果主義の窮屈な練習ではたまりません。やる方もイヤです。しかしいつまでも休憩が続くような雰囲気、同じ箇所を何度も間違えるような状況はそろそろ改善していきたいものです。私もあと何年になるか分かりませんが、先輩方の築かれた伝統を壊さないよう、そして新たな魅力を創っていきたいと思います。     

 

今後の見通しなど

 そうは言うものの、くどいようですが私はプロではありません。引っ張っていきたい、などと大それたことを以前書きましたが、本当はそんなエラソウなことを言えた義理ではないのです。音楽作りの方向性については大体述べた通りですが、細かい練習方法などについてはまだまだ工夫の余地がたくさんありますし、また積極的に改善していかなければならないと思っています。

  旭混声合唱団は再来年、創立二十周年を迎えます。とりあえず記念となる第6回演奏会

には前回以上の成果が得られるよう頑張りたいと思っています。ステージの企画、演奏会の運営方針、組織など重要な役割分担を決め、うまく機能するように皆さんで取り組んでいきましょう。まだ選曲は決定していませんが、曲を選ぶ上で「どういう演奏会にしたいかというイメージを作ること」が大切だと思います。第5回演奏会は、3つのステージを、聴き手のことを考え、変化のある構成をと考えました。周年記念行事ともなれば、私の知らない曲をリバイバルで歌いたいという声も上がるかも知れませんが、それはそれとして、全体として変化に富んだ、かといって全くバラバラでない、飽きさせない構成を心がけたいと思います。そして前回の「海鳥」のように、暗譜で皆さんが1つになれるステージを是非作りたいと思います。絵で言えば、冷静さを表す青色の下地に、情熱を表す赤色がほとばしっているようなステージを。

  其の壱で書きましたが、コンクールでは上位狙いのために難易度の高い曲を選ぶことが多い。しかしそれはそれです。コンクールの悪弊とは決めつけませんが、いま合唱はかなりの負担を強いられているように思います。私たちは声楽をやっているのに、音取りのややこしいまるで器楽のような扱いを強いられているのです。二十一世紀、地球上でおよそメロディというメロディは出尽くしたという人さえいる中、平凡な作曲家はリズムやハーモニーにウェイトを置いた曲しか書けなくなってきました。和音の無機的な歯車として歌わされるのではなく、やや主観的になりますが生きていて良かったと思わせるような自然で伸びやかなメロディやハーモニー、音楽にのめり込んで自分が音楽と一体になり、一心に情念を注ぎ込める曲、極端に言えば(シュワルツコップフではありませんが)それを歌うことによって自分の人生が少し変わるほどの感動に包まれるような曲をやってみたいものです。皆が共通の目標を持ち得た昭和の時代から一変、二十一世紀は一線横並びではなく、それぞれの趣向に応じた選択的活動の時代です。だからこそ他所の合唱団の真似ではない「旭混声」ならではのサウンド、歌い回し、雰囲気、「旭混声」でなければ聴けないような歌がそこにあってほしいのです。        

 まだ二十代の頃私は、後学のために名古屋市文化振興事業団主催のミュージカルにコーラスで出演しました。あのYou'll Never Walk Aloneが歌われる『回転木馬』です。冬になり、出席率が悪くなって演出の中村哮夫先生が激怒しました。忘年会の席でバスコム役の谷口徹次さん(名古屋のベテランの俳優さんです)が皆に向かって言いました。「縁あって1つの舞台を作り上げる仲間を我々演劇人はカンパニーと呼ぶ。このカンパニーのみんなで力を合わせて最高の舞台を作ろうじゃないか。」この一言で、素人集団が変わりました。companyとはもともとの「パンを共に分け合う」という意味から仲間、ひいては会社という意味になりました。サークルというと、どこか気まぐれに気張らし程度のことをやっている同好会的なイメージがありますが、カンパニーという響きにはある目的を持って集まった仲間という感じがあります。私は基本的に欲張りですので、もちろんリラックスしたサークル的な良さも残しつつ、カンパニー的雰囲気をも育みたい、そんなことを思っています。その際、自信のない気持ちが障害になるのです。自分はできると思うところから出発しましょう。こういう音楽をしたいという理想を持ち、練習を通じてコツコツと技術や感性を磨いていくのです。先日たまたまラジオで、長年茶道を続けている人がゲストの対談番組を聴きました。初めは作法の手順を習うものと思っていたが、そのうち季節によって雨の音が違うなど、自然に対して自分がいろいろな感じ方をするようになっていることに気づいたというのです。これは素晴らしいことではないでしょうか。私たちもまた、音楽を通じて物事に対する感性をさらに豊かにすることができれば嬉しいですね。そうすればきっと、もっともっと魅力的な合唱団になると信じています。

 

(ここまでおつきあいありがとうございました。”徒然なるままに”は其の伍をもって一旦お休みです。また時間ができたら再開するかもしれません。本当かな?・・・)